レムリア・ルネッサンス アマーリエ
「光ある愛の星にアセンション」
「ルシファーとともに生きましょう」
(p217)うーむ、なんなんだ、この教えは。
ところで、
地獄には、ルシファー以外にも、イエスを試したベルゼ○フ、
釈迦の成道を妨げたパーピ○○・マーラー
そうした大物がいるという。
それにしても、レムリアの教えには、
なぜに
ルシファー「ばかりが」出る。
こんなに多く。
しかも、「擁護」の姿勢で。
?
??
???
ふつうの知性で考えれば、
答えは見えるのでは?????
こわい、こわい。
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- 2010/02/20(土) 01:25:25|
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レムリア・ルネッサンス アマーリエ
「光ある愛の星にアセンション」より
「彼ら(魔界の者たち)とともに、もし星が滅びるのならば、わたくしは彼らと一緒に滅びましょう。」
「あなた方が、そして、もし魔界の者たちが、「それをしたい」と、「そうしなければ、神の子として気づけないのである」と、「愛を学べないのである」と言うのならば、喜んで滅びましょう。」
(ともにp223)出た、智慧のない「許し」。
一見、愛のように見えて、これは愛ではないよ。
悪の助長であり、幇助だと思うね。
どうもこのアマーリエという方の、母というもの、母性というものの理解が、「ゆるい」。
「母」というのは優しいだけではないよ。
道をそれようとするわが子を、体をはって、引き戻そうとする強さも持っているもんでしょ。
そうではないですか?
キリストは愛を説いたけど「悔い改め」を求めたよね。
また、光一元というのは、決して「悪」の受容ではないでしょ?
ガンジーもまた、無抵抗主義でもって、「改心」を迫ってたでしょ?
改心できないものに、同調して、彼らが望むなら滅びる、それが本当に宇宙の法則にかなうと思いますか?
仏性の、神性の可能性を信じる、その点において、無限の信頼を置く、そしてそうした彼らを、光に向けて、一歩でも近づけんと働きかけをする点に愛というものの本質はあるのではないだろうか。
「悪」と「善」の境界をどうもあいまいにする方向にもって行こうとするね。
「愛」の進化というのが、いいんですよ、いいんですよ、あなたを愛しますよという、「慈悲魔」になる方向を志向する。
そうではないでしょ。愛は、人を育み、向上させずにやまない力ですよ。
「許し」という教えが、悪用されている。そうは見えないのだろうか。
そういう教えを説くことで、「誰が喜びますか」ということですよ。
結局ね、仏神ではなく、そうでないものに都合のいい話になっている。
悪魔にとって都合のいい教えが、どうしても混じるね、この方の教えには。
こわい、こわい。
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- 2010/02/20(土) 00:40:37|
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レムリア・ルネッサンス アマーリエ
「光ある愛の星にアセンション」より
「地球がこのようなリスクを負ってでも、究極の二元論というものの中において、多くの者たちを受け入れるという、無限の赦しと受容性というものを・・」
(p148)
「でも、恒星意識の聖アントニウス様は、そのルシでさえ受け入れ、無限の赦しの中で、彼の素晴らしさを認め・・」
(p149)
「愛情が欲しくて欲しくて、暴力を振るい続け、親を殴り続ける、引きこもりの青年たちが最近多いでしょう。あれはまさに、ルシの姿そのものなのです。愛を求めているのです。」
(p158)→
「無限」の「赦し」という、また危ない教えが。
そして、ルシファーを反抗期の青年のように描く。
消極的悪と、積極的悪を、同じに扱う。
矮小化しすぎではないかい。
悪が悪であるゆえんは、他を害してしまったから。
その悪により、被害を受けてしまった他の人はどうなるの?
悪により、家族を失い、その悪を基点として、新たな憎しみが生まれる。
単なる若げのいたりで、すむ問題ではなかろうに。
そうした人々に、迷惑をかけ、その人たちをふみにじった
ことは、不問でいいとは思えない。
やはり、少なくとも、心からのお詫び、反省、悔い改めが必要だと思うのだか?
反省し、悔い改めたものを、赦すのが赦し。
悪をなしたことを不問にし、
うやむやにするのが、「愛」ではないよ。
それで苦しみ、恨んでいる人が、大勢いるのだから。
そして、章の最後がこれである。
「でも、わたくし(ミカエルとのこと)は、どうしても彼(ルシファー)を憎むことができない。
(p159)
「ルシという男を、どうか受け入れてやってほしいのです。」
(p161)→この教えで、得をする人は誰かを考えてみる。
それは、ルシファー?
罪を憎んで、人を憎まずという。
人の仏性を信じるは当然。
しかし、なした罪に対するつぐないは、必要である。
己の罪の自覚、心からの悔い改めがいるでしょう。
そして、それは本人がやるしかない。
一部分でも、狂った教えを挿入できれば、目的は果たせるのだ。
一部の欠陥が、大勢の人を迷わし、狂わすから。
こわい、こわい。
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- 2010/02/12(金) 22:00:06|
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